「やりたいことが見つからない」のは案外普通?【脱意識高い系】

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こんにちは、@kojisaitojpです。「やりたいことをどうやって見つけるのかわからない?」というような私からすると意味不明の質問を生徒など若者にされることが多いのが昔から謎です。

私の中では「やりたいものって自分の中で生まれてくるものじゃないの?」と思うのですが、最近は「やりたいことがわからない」とか「やりたいことの見つけ方を教えてくれ」と言ってくるような若者が多いです。

上記のTwitterでも言及されているように、実際にある程度の期間やってみれば「好きなこと」かわかることで、やる前からやりたいことがわかるものではないと内心思っています。

私が予備校講師というアウトローな職業で、キャラクター的にも普通のサラリーマンとは縁がないような人間に見えるからなのかもしれませんが、現役の生徒や卒業してしばらく経った生徒からこういう相談を受けることが多いです。

なので今日はそういう過去の経験を生かしてこの「やりたいこと問題」について考えてみます。

「意識高い若者」「やりたいことが明確な若者」って案外少ないです

資本主義のイメージ
若者と接点がない人ですと「最近の若者は将来なりたい職業にYouTuberとかキャバ嬢とかを挙げてくる、けしからん!」と思ってませんか?

もし若者をそういう風な目で見ている人がいたら、私には「この人若者と接点ない人だな」と一瞬でバレます。

私が予備校などで受験生や卒業した元生徒などと接していて「YouTuberに将来なりたい」とか「将来キャバ嬢になりたい」という生徒を見たことがありません。

ルックスの良い女の子であれば大学生の時にキャバクラでバイトしてるというのは時々いますが(私のキャラクター的にこういう話を素直に話してくれる元生徒が多いです)、そういう生徒が大学卒業後に公務員とかになってその辺の区役所とかに普通にいたりします(笑)。

あるいは東証一部上場の銀行とかいわゆるお堅い企業に就職する、あるいは就職したがる生徒が多いです。

男子の場合でも「時給が高いから」のような理由でキャバクラのボーイのバイトをしている大学生は結構いますが、卒業後の就職先は似たような感じで「安定志向」です。

コンプレックスのイメージ

パッと見のイメージと違って「将来は安定した会社に就職したい」という大学生が大半だと言ってもいいかもしれません。ごくたまに「起業したい」という大学生がいますが、本当に少数派です。

私の視点から見ると「自分のやりたいこと」をあえて探さない若者が多いようにも見えます。

都合の悪い事実は見ようとしないとでも言っておいた方がいいかもしれません。

そもそも実際にやる前に「自分のやりたいこと」が決まっているというのも変な話です。「自分は〜がやりたい(はずだ)」という妄想なのでは?と思ってしまいます。

「やりたいこと」ではなく「やりたいはずだという妄想」だったら「意識高い系」の人々は急にお寒い人に見えてきます。

「好きなこと」が「やりたいこと」だとは限らない残念な事実

自信を持って対抗する
「自分の好きなことをやってみなよ」と無責任なことを若者に言ってしまう大人が多いですが、これも良くないです。

    例えば「ラーメンが好き」とか「シーシャが好き」(自分の趣味が出てすみません)だったとして、それを職業にしてしまうと全く別次元の世界になります。

    「ラーメン」を職業にする、「シーシャ」を職業にするということはラーメン屋やシーシャカフェなどで接客をする、調理をするということになります。

    ですが大半の人が「ラーメンを食べるのが好き」「シーシャを吸うのが好き」なだけであって(要は「客」という立場が前提)、「ラーメン屋やシーシャカフェで接客をすることが好き」なわけではないはずです。

この取り違えだと分かりやすい例になるかと思いますが、若者を「やりたいことがない自分=ダメな自分」と追い込む原因になります。

どうしても「好きなこと=仕事」にしたいならどうする?

でも落ち着いて考えてみればわかる話で、「ラーメンを食べること」と「ラーメン屋で接客をすること」、「シーシャを吸うこと」と「シーシャカフェで接客をすること」は全く別の話ですよね。

もしどうしても「シーシャを吸う」という「好きなこと」を仕事にしたいなら、以下のようなことをやればシーシャで食っていけるようになるかもしれませんが。

シーシャマイスターというテキトーな肩書きを作って、ブログを作り、シーシャ好きの人をとにかく集めます。そして、全国のシーシャ好きと全国のシーシャカフェを訪問し、語りあい、それをコンテンツ化します。「シーシャマイスター協会」を立上げ、理事長に就任。シーシャ情報を定期的に発信しながら、シーシャマイスターとして情報誌やテレビ等から声がかかるようになります。シーシャマイスター協会では、厳選されたシーシャカフェにマイスター資格を提供し、マイスター称号を得たシーシャカフェ・シーシャバーを毎年表彰。個人向けにはマイスター検定を提供。世界に向けて日本のシーシャ文化を拡散するため、1ヶ月で学べるシーシャプロ講座を開設。

ミシュランのレストランガイドやドイツのマイスター制度を意識してテキトーに書いてみましたが、このくらいまでやればシーシャのプロとして生きていけるでしょうね(笑)。

「(笑)」をつけてしまいましたが、もし今書いたようなことをやってみようと思うのであればその時点で「自分の好きなこと・やりたいこと」が見つかります。

魅力を感じなければ他のことにトライすれば良いだけの話です。

実際にやってみて、シーシャカフェでバイトをするとか自分でシーシャカフェを開業するということが「好きなこと」なのか考えることで、自分がやろうとしていることの全貌が明らかになります。

シーシャカフェでの「接客」が楽しければそれでよし、「シーシャカフェのオーナー(経営者)」というポジションが楽しければそれもよし、どちらでもなく、シーシャを吸うという行為そのものだけが好きだったのなら撤収すれば良いだけの話です。

この残念な事実を理解できないと好きなことをしているはずなのに、「好きなこと」から方向性がズレて行って、ストレスの原因になり、人生をエンジョイできなくなる可能性があります。

他人の目を気にしない「意識低い系」でもOK

悩む女性のイメージ
「自分には将来やりたいことがない」とか「やりたいことをどうやって見つければ良いかわからない」と悩む人は案外多いですが、それは「将来やりたいことが明確で目標に向けて一直線に進んでいる」ように見える「意識高い系」の方が自分より格上のように錯覚するからです。

発想を変えて「よくもまぁ、やったこともないのに好きなことなんて妄想できるな」位に冷ややかに見ておけばストレスにはなりません。

  • 別に世の中がどう変わろうと関係ないと思う
  • 煽られて誰かを目指さない(他人と比べない)
  • 自分のやりたいことに自然とハマるまで待つ

上の2つのポイントは自分自身の価値基準を他人に委ねてしまうことから生じています。

「他人と自分を比較」するから「好きなことが見つからない自分=ダメな自分」であると錯覚してしまうのです。「世の中」とか「他人」というのを自分の評価価値の基準にしてしまうから精神を病む原因になってしまいます。

「好きなこと」を仕事にするというのは、自分から自発的にハマる状態になって、仕事も遊びも同じ状態になることなのですが(「Work as life」という言葉があります)なのだけど、そんなものは実際に行動してみないと本当に好きなことなのかわからないというのが先ほどのシーシャの例でお分かりかと思います。

疎外から解放されるイメージ

一日中、自分の生活が仕事になることが楽しければ成功しやすいのは事実ですが、何も行動してない状態で見つかるようなものではありません。ましてや他人に「好きなことってどうやって見つけるの?」と聞いて答えが出るものではありません。

試しにちょっとやってみるという段階がとても大事で、「自分の感情をしっかり観察する」ことが必要です。

先ほどのシーシャの例で考えても「シーシャカフェで接客することは面白くない」と思ったとてしても、「シーシャカフェのオーナーになる」ことであれば楽しいことかもしれません(もちろんオーナーになると「投資」とか「資金繰り」、「人材を育てる」などのまた別の要素が必要になるので、好きになる人とならない人に分かれるでしょうが。

好きになれなかったとしても別にいいのです。また別のことを始めてみればいいだけですので。

「意識高い系」のようにイキる必要はなく、「意識低め」で自然体で色々やってみることが重要です。

「意識高い系」が痛いという話は以前も書いていますので、以下の記事を参照していただければと思います。

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