【挫折】受験エリートが無能なFラン社員に変貌する理由とは

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こんばんは、@kojisaitojpです。タイトルからすると予備校講師をやっていた私が、受験エリートを否定して、彼らが挫折して、無能であることを認める記事に見えますね。しかもFランという受験業界の底辺と変わらなくなるかのようにも見えます。

しかし残念ながら受験エリートを全否定する記事ではありません。一部の受験エリートが残念なFラン社員になぜ変貌してしまうのかということを説明します。

受験エリートが無能なFランマインドに

大学受験のイメージ
どうも学歴不要みたいな空気が広まっているからなのか、私が「受験で成功して偏差値高い大学行っても何の価値もない」のような記事を書くとカタルシスを得る低学歴の方が現れると思います。しかも元予備校講師の私が言ったとなれば拍手喝采なのでしょう。

残念ながらそういう記事ではありません。自分のポリシーを曲げてまで記事を書いて稼ごうという気はないです。

原則は受験で成功した受験エリートは社会人としても成功する可能性が高いです。

今日お話ししたいのは、受験で成功した受験エリートの一部が社会人になってから失敗する理由とその背景について分析します。一般には「偏差値高い大学出ても仕事できるは限らないんだよ」としたり顔で言われて終わる話なのですが、この挫折には明確な根拠があります。

受験エリートがなぜか社会人になって成功しない原因、ちょっとしたボタンのかけ違いでFラン大学を出た人間と同レベルのマインドに陥りがちな原因について考えてみます。

「挫折」ではなく「成功テキスト」を欲しがる受験エリート

人生下り坂のイメージ
予備校講師をやっていたので優秀な生徒でも「成功テキスト」つまり、「これさえ勉強すれば絶対に合格するバイブル」のような教材を求めている傾向があります。これは偏差値の高い生徒、低い生徒に関係なく求めてしまう傾向があります。

私のやっていた現代文は「これ覚えれば受かる」という科目ではなく、初見の文章を自力で読み解けないと受からない科目なので、この手の生徒は「同じ文章2度と出ないんだから勉強しても無駄」的な態度で臨んでくることが多いです。

そのような思い込みを破壊して、「文章を論理的に読む型を身につける」ための授業だという意識づけを徹底的に行うのが4月5月の恒例行事でしたが、私のような授業を受けたことがないまま大学生になった生徒の中には、やはり社会人になっても「これさえやれば合格する」的なテキストを求める人生になっているように見えます。

で、現代文のような科目は無視して、暗記すれば点が取れそうな英語や理科・社会に逃げる。ところがそもそもの読解力がないので、英語も文法だけ解けて長文はボロボロ、国語は現代文も古文も壊滅で、受験は惨敗というケースに陥る生徒が必ずいます。

そんな生徒に限って落ちてから「早稲田に合格した部活の先輩が一番大事なのは英語と言ってたから、英語中心に勉強したのに」とボヤくことになります。

私が当時生徒によく言っていたのは、「合格体験記」なんて受かって浮かれてる奴が高校時代を美化しながら書いた文章だから読む価値なし。それよりも落ちて浪人した先輩とかに「なぜ浪人したのか」という不合格体験記を聞いた方が100倍役に立つということです。

あるベンチャー経営者の方が以前「成功ってアートだよ」と言ってましたが、これは芸術のようにある日突然運よく成功するものだということです。

エリートビジネスマンのイメージ

だからその成功体験記のようなものを読んで真似しても無駄だということです。

反対に「失敗する時には失敗する必然的な理由があって、それは誰に対しても当てはまるもの」だというのが真理だと私は思っています。

偶然性・アートと言いましたが、自分の努力ではどうにもならない領域が物事の結果を左右しますし、そもそも自分が入った会社自体が失敗だったらいくら努力しても無駄に終わるという事は十分あり得ます。

受験秀才で終わってしまって、社会人になってから上手くいかない元偏差値エリートはこの辺のことが分かってないように見受けられます。

「逆境に耐えると報われる」と錯覚する受験エリート

仕事について試行錯誤
突然予備校時代の話で章を一つ使ってしまいましたが、今指摘した受験生の行動に、社会人になってFランクマインドに陥る原因が潜んでいます。

私が10数年予備校講師をやって感じた事は「最終的に偏差値の高い大学に合格するのは、いつまでも諦めないで粘り強く頑張る生徒」だと思っています。Fラン大学に行ってしまうようなタイプの生徒は仲間と群れて勉強しないというのは以前指摘しましたが、いざ勉強してもちょっと頑張って結果が出ないと「もう嫌」という感じで簡単に投げ出す生徒が多いです。

受験で成功する、つまり東大・早稲田・慶応などの高偏差値の大学に入るためには、実はこの「いつまでも諦めないで粘り強く頑張る」という我慢強さが必須なのです。

大学受験の際はそれで全く問題がないのですが、受験エリートは受験で養われたこの「諦めない粘り強さ」が社会人になってから落とし穴となります。

苦しい時こそ頑張れば報われる、諦めずに頑張ろう的な受験勉強の成功体験が、ブラック企業の経営者に利用されて奴隷労働に使われたり、新興宗教やマルチ商法、情報商材に騙されるという落とし穴に陥る可能性もあります。

真面目で物事に一生懸命なのは悪いことではないのですが、必要のないところで粘っても頑張っても無駄だということがなかなか理解できなくて蟻地獄を彷徨うというのは、受験エリートが陥りやすい典型的な罠の一つです。

このブログで度々述べてきたように、世の中にはどんなに知名度のある大企業でもブラック企業のようなところはたくさんあります。

つまり努力しても報われない、経営者や上司に都合の良いように使われるだけというパターンですが、大学受験の場合は東大とか早稲田・慶応とか医学部とか一定のレベル以上に到達すればハズレの大学はありません。

ですが社会人になると、厳しい就活を勝ち抜いてやっと内定を取った大企業でも、ブラック企業に当たる可能性が大いにあります。

この違いが分からないから、「自分の頑張りが足りないんだ」「もっと努力して会社に自分を認めさせよう」的な受験生マインドが出てしまい、蟻地獄にハマるというのが受験エリートの陥りやすい罠です。

メンタルをやられるか、過労で体を壊すまで気づかない場合もあります。

反対に「これは無駄な努力」「頑張っても報われない会社もある」ということが理解できた受験エリートは、たとえ失敗しても立ち直ることができます。早めに会社に見切りをつけてスキルアップを図る、副業をやる、自分で起業するなどのポジティブな行動に出ることが可能になります。

私がこのブログで日本の企業を「昭和マインド」とか「加齢臭の発想」と攻撃するのは、この事実に気づかずに搾取され続ける受験エリートをたくさん見てきたからです。

結果として「自分には起業する能力なんてないから無理」「会社の仲間と飲みに行く毎日が楽しい」的に、現実から目を背けるFランマインドの社会人に変貌します。

受験生の時は仲間と群れずに勉強していたはずの人が、社会人になると無駄な飲み会に付き合わされて没落していくというのはよくある話です。当然努力することを放棄しているので、それ以上の発展がないばかりか、受験生時代から仲間で群れて遊んでいたFラン学生と変わらない水準まで落ちてしまうわけです。

でも受験エリートは本当はビジネスでも有利

上昇気流のイメージ
このようなプロセスを辿ってFラン大学とは無縁なはずの高偏差値の受験エリートがいつの間にか「Fラン社会人」に変貌してしまうのです。

繰り返し言っているようにこれはマインドの問題なので、頭が悪くなるという話ではありません。

何かのボタンのかけ違いで、本来であれば陥るはずがなかったFランク大学生のようなマインドに陥る受験エリートが一定数いるというだけの話です。

マインドの問題ですので、ちょっとしたきっかけで復活します。

通常受験で成功したエリートが社会人になった際に、仕事面で有利だというのにはしっかりした根拠がありますが、今日は字数も多くなったので次の機会に語ります。

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