「メガソーラー投資」から感じる適切な再生可能エネルギーのあり方とは?【環境破壊?】

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こんばんは、@kojisaitojpです。既にご存知の方も多いでしょうが、「メガソーラー」が猛烈に叩かれています。

今回の熱海での土石流の原因が近くにあったメガソーラーであるかどうかは現時点では全く不明確です。

ですがここぞとばかりに「メガソーラーが悪い」と猛烈に叩いている人がネット上では多く見られます。

私個人の見解としては「行方不明になったり、家が流された人もいるのにそっちの心配するより先にメガソーラーの悪口かよ」という印象です。

人の命よりも再生可能エネルギーを攻撃することの方に熱心になるのもどうかと思いますが。

とはいえ「脱炭素」おいて欠かすことのできない「太陽光」が実は本来あるべき使用法とは違う方向に使われていて問題であることは事実です。

そこで今回は熱海での土石流をきっかけにわきおこった「メガソーラー」が抱える問題と、再生可能エネルギーのあるべき姿について考えてみます。

「土石流」の原因が「メガソーラー」とは限らない?

野立ての太陽光発電
今回の土石流に関しては専門家も含めた様々な人が様々な角度から検討していますので、いくつか引用してみます。

土石流の原因になった「盛り土」の場所がメガソーラーからはズレている、別個に宅地開発などを行おうとして結局放棄した場所なのでは?という見方もされています。

もちろん地下水などを通じてメガソーラーと関連している可能性もあるので今の時点では分かりませんが。

現時点でわかっていることはこの「盛り土」が大雨によって流れ出したという部分だけで、静岡県の調査でも明言されています。

ネット上では勝手な憶測が飛んでいますが、事実関係・因果関係がはっきりしない状態であれこれ言うのは下手をすると名誉毀損にもなり得るので気をつけるべきところです。

確かに「乱開発」なメガソーラーもあります

乱開発されたメガソーラー
とはいえ確かに「これ無茶苦茶じゃないの?」と思ってしまうようなメガソーラーが日本国内の様々な場所で見られることは事実です。

ネット上では次から次へとこのような「ちょっと無理があるんじゃないの?」と思うようなメガソーラーの画像がこれでもかとアップされています。

問題は「山林が私有地」だということです。当たり前ですが私有財産は所有者がどのように使おうとも誰にも文句を言われずに使うことができます。

「もうゴルフ場も流行らないし、田舎過ぎて住宅も建てられない」などと使い道に困った地主が「メガソーラーでもやるか」と数少ない稼ぎ方を考えた時に食い止めることは困難です。

この問題は別にメガソーラーに限ったことではなく、産廃施設やゴルフ場、宅地開発など山林を切り開いて開発する全ての構造物に関係することです。

なぜかメガソーラーや風力などの再生可能エネルギーの時に限って猛烈に批判してくる人がいますが、どれも一緒です。

「ゴルフ場ならOKでメガソーラーはダメ」という理由はありません。どちらも自然に与える影響という意味では変わりません。

今回の不適切な「盛り土」というのもメガソーラーの可能性もありますが、他にも産廃施設や宅地開発が原因の可能性もあります。

ゾーニングという言葉がありますが、「この土地をどのように使うべきか?」の適切な議論がなされぬまま何となく開発を進めることがトラブルの原因になり、今回のような災害につながってしまうことにもなります。

ゾーニング (英語: zoning) は、基礎自治体の領域内に線引きし、土地利用について一定の許可や禁止で条件づけながら、住宅地域、工業地域など、いくつかの区域 (zone) に分割していく過程である。

(中略)

多くの先進諸国において、ゾーニングは、地方政府が都市計画の手段として、土地利用計画(英語版)の技法を用いている。ゾーニング (zoning)」という表現は、土地利用、形状、開発計画やその適合性などによって、地図上に区域/ゾーン (zone) を線引きしていく行為に由来している。法律上、ゾーニング計画は、然るべき手続きを経て条例として発効する。一般的なゾーイニング条例などは、その多くが子供たちが通う学校周囲に、大人向けの各商業施設(酒販売、ギャンブル、性的娯楽など)の設置を制限するものとして知られている。

(Wikipedia「ゾーニング (都市計画)」より)

政府や自治体が政策としてメガソーラーをやる際の指針をはっきり決めたり、他に土地の有効な活用方法を考えて固定資産税の減免などの「あめ玉」を用意して地主を誘導する方向に動かない限り今回のような不適切(だと思われる)なメガソーラーが今後も乱立してしまいます。

そして災害などが起きるたびに「やっぱり太陽光は日本では向いてない」「再エネなんてやめてしまえ」と世論があらぬ方向、世界から見放される方向に進んでしまう危険性があります。

本来あるべき太陽光発電の使い方とは?

再生可能エネルギー
偶然ですがこのタイミングで政府から「脱炭素」へ向けた太陽光発電の目標を上積みする計画が出てきています。

今のタイミングでこういう記事が出るとヒステリックな反応が出そうですが、よく見ると公共施設や住宅、ビル、工場などに太陽光パネルを設置するのが8割くらいで、先ほどのようなメガソーラーに該当するものは2割程度です。

しかも小泉環境大臣がこのように言ってます。

誰も危険を冒してまでメガソーラーをやるとは言ってません。

先ほど「ゾーニング」に触れましたが災害なども考慮に入れた適切な土地利用のあり方を定める必要があります。

先ほどの無茶苦茶なメガソーラーをやり玉ににあげて「太陽光なんてやるべきじゃない」などと言ってしまうのは本質から外れた暴論になります。

世界に見放されるまで再エネ・EVを「できない理由」を並べる日本

ESG投資のイメージ
というわけで何か問題のように見えることが起きると「だから日本では再エネは向いてないんだ」的に騒ぎ出す人が必ず現れます。

日常生活や仕事でもこのように「できない理由」をひたすら並べて「ほら、だからやる必要ないんだ!」となぜかドヤ顔をする人に遭遇することはありますが、このタイプの人々と深く関わって自分にプラスになることはほとんどないというのが実感です。

私の以前の経験をお話しすると「少子化」と「大学入試が簡単になった(Fランなら誰でも入れる)」ことから塾・予備校業界はどこも生徒数の減少に悩まされています。

経営者と直接話す機会があるような学校だと「生徒増やすのに何かいい方法ないかね?」のように聞かれることが何度かありました。

そういう時に「こんなことやってみたらどうですか?」のように提案をするとほとんどの場合「いや、そんなことをやっても結局…」のようにことごとく否定されたことがありますが、「じゃあどうすればいいんだ?」というのが全く出てこなかった経験があります。

「結局新しいことは否定するけど、昔のように子供の数が増えたりでもしない限り経営はよくならなんじゃねぇの?」と捨て台詞を言いたくなったこともあります。

当然ですがそういう経営者の会社からは徐々に人が離れていき、残される人材はいわゆる「終わってる人」だけになります。

先日は「地熱発電」を例に挙げて「できない理由を探すのではなく、どうすればできるようになるかを考える」ことの重要性に触れましたが、「脱炭素」の目標を達成するために「どうすればできるのか?」の方向にマインドを変えていかないと「原発」という魔の手が忍び寄ってきます。

太陽光の設置方法についてのお話は私も概ね同意する部分なのですが、それでは二酸化炭素の削減目標に届かないという部分で「原発の再稼働が必須」などと言い出したので思わず腰を抜かしそうになりました。

一回稼働した原発を止めるのにまた何十年という長い間日本人の生命や財産が危険にさらされるということをわかって言ってるのか?と思ってしまいます。まぁ外務省の元官僚ですから当然そのくらいのことはわかっていると思うのですが。

私のブログを読んでいただいている方々にはこのチャンネルのファンの方も一定数いらっしゃると思うので言いにくいところですが、「こうやって原発を認めると原発を止められない国になってしまうぞ」というのが私の見解です。

今回の土石流のような災害が起きるとすぐ「太陽光なんてやめろ!」的に噴き上がる人が出てきますが、2011年の東日本大震災で経験したように原発の事故は一回起きると取り返しのつかない大災害となってしまいます。

目先の電力供給を確保するために地震や津波に見舞われることが多い日本で原発をやる意味があるのか?は真剣に考えるべきことです。

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